執着を手放し、物を手放し、「持たない生活」を考える

こんにちは。モリケンタロウです。

今日は禅的な観点から、物を持たない生活について考えてみたいと思います。

前回求める心が執着を生み出し、執着が余計な悩みや苦悩を生み出していると言ったお話をさせていただきました。

あなたの悩み、苦しみには解決方法がある【反応しない練習】
こんばんは。承認欲求の塊こと、モリケンタロウです。 今日は草薙龍瞬さんの著書「反応しない練習」についての記事を書きたいと思います。 (function(b,c,f,...

今日はその延長のようなお話をします。

物に対しても執着は生まれる

物が一つ増えるごとに、その物に対する執着、またそれに付随した欲求が生まれ、これが思わぬストレスを生み出しています

現代は非常に豊かであり、私たちは多くの物に囲まれて生きているにも関わらず、なぜか満たされない心があるという背景には、こうした決して満たされることのない欲求が関係しています

多すぎる物によって私たちの器は常に水が溢れている状態で、これ以上何も入らない状態になっています。

であれば余計な物を手放し、同時に執着も手放し、自分の器を空けておく必要があります

物の数と比例して、器は大きくなり、シンプルに生きられる。

あの世には物は持っていけない

たくさんのものを持っていても、死ぬときにそれらを持っていくことはできません

また今、自分の立ち位置で、できることに集中すると言った今を生きると言った禅の視点を取り入れる、いつ死んでもよしと言える境地に立つには、今からでも「終活」の視点で物事を整理してみても良いかもしれません。

物を手放す心構え

身の回りのもの一つ一つに対して、これは今の自分にとって必要なものかどうかで判断する。

大切なのは今の自分にとって必要か否か。

そのうちやろうと思って取っておいているもの、手がついていないものは、知らず知らずにあなたにストレスを与え続けている

また環境が変わったり、時代の変化により結局使わないまま手放すことになるかもしれない。

であれば、今捨てても支障がない(すぐに買い戻せる)ものについては思い切って手放しましょう。

また、買うときには、
「待てよ?本当にこれは必要なものなのか?」
と立ち止まって吟味する時間を設けましょう。

自分の体も一つの「道具」という意識

物=「道具」という観点では、私たちの体も究極的には「道具」の一つです。

自分にとって1番身近な道具である自分の体を蔑ろにしている節がありますが、世の中で成功されている方は自分の体が資本だと理解し、「健康」に気を遣っています。

大事な物を扱うように、自分の体も労ってみてはいかがでしょうか。

余計な人間関係を持たない

「いいね」や「フォロワー」「友達」の数は、承認欲を満たすための記号に過ぎません。

ここでも本当に必要な人間関係以外は、整理されると良いかもしれません。

「持たない」を体現している人

これらのことを見事に体現されている方が、高城剛さんになります。

全世界を旅しながら様々な活動を続けている方で、必要最小限の物しか持たない、健康を常に意識している、スマホに登録する人の数を50人に制限して人間関係を整理している、と言ったことをストイックに実践されており、まさに本質的に何が必要で何が不要なのか分かっている方ではないかと思います。

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最後に

このように限られた物をだけ所有するという、制約の中で生きた方が、人は逆に自由になれます。どうやら持たない生き方を選択することで、見えてくるものがあるようです。

欲求・執着を手放し、物を手放すことは自分と向き合うことそのものだと思います。

本当に必要な最小限の物に囲まれてシンプルに生きる生活やそこで生まれる余裕こそが、これからの時代を生き抜く鍵なのではないでしょうか。

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